幕屋と エルサレム神殿の変遷 ・・・・ エルサレム第3神殿の惑わしを受けないために
2016年3月28日
1. 幕屋以前:
罪を犯す前のアダムとエバは、毎日 夕拝をしていました。 (直)「日の風の頃」(創世記3:8) 人間には本来的に、神を礼拝する
という性質が備わっています。
しかし、罪が入ってからは、何らかの犠牲を伴うささげものを携えて主の前に来て、いけにえをささげて礼拝するようになりました。それは神様が本来的に”人間の焼肉”を好まれるような残酷な性質の神というわけではありません。神は、「愛」でおられ、恵み深い、あわれみ深い方である一方、どんな罪をも見逃さない「聖なる」方でもおられ、罪の入った人が神様との関係を維持するのに、常に犠牲が必要だったからです。 人々は、主を恐れ、貴重な財産である家畜を
惜しむことなく神様の前にささげたのでした。
アベルのささげものは受け入れられ(天から火が降って焼き尽くした)、カインのささげものは省みられませんでした。 それは、ささげものはもともと主が造られ、すべては主が与えたものであり、主は ささげる人の心を見るからです。(心しか見ない) そして、ささげものよりも、主の声に「聞く」、「心に留める」ことを喜ばれます。(Tサムエル15:22、 16:7)
信仰の父、アブラハムも、通常は羊やヤギなどの家畜をささげていましたが、モリヤの山(モリヤの丘)では、主に語られ、自分の息子イサクをささげようとしました。
この場所が、かつて第1神殿、第2神殿があった所であり、今のエルサレムの 岩のドームのある所、そしてこれから第3神殿を建てようと目されている場所です。
律法のささげもの以外でも、十字架の示しが頻繁にありました。 これらは「幕屋」、「神殿」の予型ではなく、「十字架」の予型です。
・・・ 「ヤコブは、ポプラや、アーモンドや、すずかけの木の若枝をとり、それの白い筋の皮をはいで、その若枝の白いところをむき出しにし、・・・
水ぶねの中に差し向かいに置いた。」(創世記30:37、38)、 「門柱と鴨居に血を塗って、わざわいを過越す」(出エジプト12:7、13)、 「青銅の蛇」(民数記21:8、9)、 「遊女ラハブの窓の赤い紐」(ヨシュア2:18)
多くの動物のささげものは不完全であり、神のひとり子 イエス・キリストのただ一度の十字架の贖いが、唯一完全なものです。なぜなら ささげられた犠牲は、実に 神ご自身であり、神のひとり子だからです。 旧約時代は、儀式を通してこの十字架を幻で見ることによって義とされました。(律法の行いではなく、信仰による義)
2. 幕屋: 「会見の天幕」 Tabernacle MShKN ミシェカン(出エジプト25:9)
「律法」があえて明文化されて定められた理由は、長い間エジプトで奴隷だったイスラエルの民があまりにも
かたくな(=文字通り ”心が石のように硬い”の意。 ”すれば良いんでしょう主義”、”奴隷根性”
→ 不信仰へ直結)で、行いによって自分が正しいという思いが強かったためです。(自己義認=原罪)(一方、指導者モーセは
奴隷としてではなく王子として育てられました。) 「目には目を」などの復讐律は、放置しておくとどんどんエスカレートしていく仕返しを制限する意味があります。 そのため、主への礼拝も、しるしと 行いの要素が強かったが、「信仰」があくまで中心です。 しかし、儀式や 礼拝プログラムを押し通すと、肝心の「信仰」が形骸化します。
・ サイズ: 約5m × 約15m (1アンマ(ユダヤのキュビト)=45cm)、 2つの 垂れ幕、 大祭司は、年に一度、血を携えて、至聖所に入る。 移動の際には、レビ族のうちのアロンの家系の祭司たちが組立て・解体し、レビ族が運搬。(民数記4章)
・ 「出エジプト記」25-30章:
1.契約の箱 ・・・ 御子イエス様の型、前面(東側)に血を振りかける。 至聖所には年に1回大祭司のみが入る。
2.中庭-入り口、 聖所-至聖所間の 2つの 垂れ幕(後の第2(ヘロデ)神殿のものは十字架のとき裂けた)、 入口は東向き(後の
神殿、エゼキエル書の神殿の幻も 東向き)
3.全焼の犠牲をささげる祭壇 ・・・ 十字架(罪(肉的な部分)を焼く意味)の型
4.祭司の職服・12の宝石(28章)
5.香をたく祭壇・4隅に角・角に血を塗る ・・・ 祈りの型
6.燭台 ・・・ 聖霊の型、 パン ・・・ みことばの型
・ 新約聖書での表現は、 ヘブル9:1の「聖所」 αγιον(ハギオス、単・中、聖なる、・・・ 神殿 ναοσ(ナオス、単・男、temple、 Tコリント3:16、黙示録21:22)ではなく、幕屋のこと)(ヘブル9:1)
→ これら律法の規定はすべて、「来るべきものの 影」の位置づけであり、 「本体はキリストにある。」(コロサイ2:17) ことを忘れてはならないのです。
* 幕屋の祈り: 罪の悔い改め、十字架の贖いを感謝する → 聖霊様を歓迎する、みことばをほめたたえる → 賛美と感謝をささげる → (ここまでの手順を踏まえて、ようやく)主の御前で祈り求める
3. 第1神殿 = ソロモンの神殿 (BC10c頃 〜 BC586(神殿破壊)):
・ 預言者ナタンが ダビデへ預言: 「彼(=世継ぎのソロモン)はわたし(主)のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(Uサムエル7:13) → 建設に7年かかった cf.
ソロモンの宮殿は13年
・ 燔祭の祭壇、 全部を祭壇で燃やして煙にする(ヨハネ1:29)、 青銅の海(洗盤):(出エジプト30:18) ・・・ 祭司が手足を洗う (→ 水のバプテスマ)
聖所(本堂)の、 燭台(民数記8:2) (→ 聖霊)、 備えのパン (→ みことば)、 香の祭壇(出エジプト30:1) (→ 祈り(「聖徒たちの祈り」(黙示録5:8))
・ 「幕屋」との違い: 栄華を極めたソロモンらしく、大規模な建造物で、床も壁も金張り
「聖所の柱」、東に向かって 右: ヤキン、「彼(主)は設立する」、 左: ボアズ、「力をもって((直)スピード・速さをもって)」、 ツロのヒラムが青銅で鋳造 (T列王記7:21、(参) 黙示録3:12)
新約聖書で、「柱」: ガラテヤ2:9(στυλοι、ストゥロイ、複数)・・・ペテロ、ヤコブ、ヨハネのこと、 Tテモテ3:15、 黙示録3:12(στυλοσ、ストゥロス、単数)
「契約の箱」 と別に、高さ10キュビトのオリーブ材に金をかぶせた、大きな 2つのケルビム像(T列6:23)。 翼が壁に触れ、真ん中で翼が触れ合っていた。
至聖所(内堂)との 隔ての幕ではなく、折りたたみの扉(T列6:34)、 内張り、外側 ・・・ ケルビム、なつめやし、花模様
● 第1神殿から 主の臨在が去る: 南ユダのバビロン捕囚直前、王と民が不信を続けたゆえに、 ・・・ 「主の栄光」=主の臨在 → 神殿の敷居から出て行ってケルビムにとどまり(エゼキエル10:18)、ケルビムが翼を広げて昇っていき、東の門の入り口にとどまった。(10:19) → エルサレムの町を去り、東の山(オリーブ山)にとどまった (11:23)
・・・ そむきの罪のため、神殿は 神の臨在も その栄光も無い、空虚な
形だけのものとなりました。 「契約の箱」はエルサレムの地下のどこかに隠されているらしい。
4. 第2神殿: (BC515 〜 AD70)
至聖所に、「契約の箱」無しで建設。 バビロンからの帰還後のこの頃から、”ユダヤ教”の形ができ、聖書の文字が 現在のアラム文字系になった。(捕囚以前はフェニキア文字)
バビロン捕囚(607 〜、第1次・BC597、第2次・586(神殿破壊))の
BC607年から70年後、ペルシャ王クロス(キュロス)によって解放(イザヤ41:2、45:1)。
→ 神殿再建へ: 「今、お前たちは、この神殿を廃虚のままにしておきながら、自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか・・・山に登り、木を切り出し
て、神殿を建てよ。私はそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。お前たちは多くの収穫を期待したが、それはわずかであった。しかも、お前たちが家へ持ち
帰るとき、私は、それを吹き飛ばした。それはなぜか、と万軍の主は言われる。それは、私の神殿が廃虚のままであるのに、お前たちが、それぞれ自分の家のために走り回っているからだ。」(ハガイ1:4−9)
・ 尺の寸法自体が小さい(初期のエジプト・キュビトが最大)、 「神殿の基ができた時、元の(第1)神殿を見たことのある老人たちは皆
泣いた」(エズラ3:12) ・・・ 規模が小さく、みすぼらしいものだったから?
・ ネヘミヤ3:1 城壁の再建、「羊の門」から始めて時計回りに一周・52日で ・・・ 破れ目・穴がなかった、 ネヘミヤ: ペルシャのクロスに遣わされたユダヤ人の総督(エズラ(アロンの家系の祭司、ユダヤ教の土台を築いた)とともに第2神殿建設) 安息日には城壁の門が閉じる、 異邦人の妻をめとるな
・ ゼカリヤの幻(第5幻): 「2本のオリーブの木」(ゼカリヤ4:3)、ここでは ゼルバベル(”バビロンの若枝”の意、王or指導者)と ヨシュア(祭司)を表す ・・・ オリーブは単独の木では実を実らせない。異なる種類の2本以上を同時に植えることが必要。
尽きない油が金の管を通して、7枝の燭台の上のともしび皿に供給されます。
「軍隊(武力)によらず、人の力量(能力)によらず、確かに 主の霊によって。」(ゼカリヤ4:6)
→ 終末直前の イスラエルの2つの教会(2人の預言者(モーセとエリヤ)につく人々の教会)(黙示録11:4) において、もう一度成就。
● 神殿が汚される: ・・・ 終末の反キリストの型の一つ、 セレウコス朝シリアの アンテオコス・エピファネス(4世、 在位BC175−BC163、”神の現れ”の意)
・ ダニエル8:9 ・・・ 天使ガブリエルがその幻を悟らせた。 メド・ペルシャ(雄羊)、ギリシャ(雄ヤギ)に続いて現れる、卑劣な王について。 「南(エジプト・プトレマイオス朝)、
東(パルティア(イラン))、 麗しい国(イスラエル)」。 BC171 大祭司オニアスを殺害
〜、(ただし 「常供のささげものが取り上げられ」はBC167 12/25 で合わない。) 神殿の至聖所にヘレニズムのゼウス神を設置、豚の血がささげられた。 → (大祭司オニアス殺害から)「2300日後」(ダニエル8:14) の、BC165 12/25 エルサレム奪還、宮きよめ で、この預言が成就。 → 後の、ハヌカ祭(「宮きよめの祭、時は冬」(ヨハネ10:22、23)、ハナク・捧げる)。
● ヘロデ神殿 (BC19 or 20、 第2神殿の大改築、 イエス様の頃もさらに改築中): AD70年のエルサレム陥落の時、炎上し溶融した金が石の隙間に入り込み、ローマ兵がそれを取り出すためにすべての石をひっくり返した。(ルカ19:44) 現在残っている”嘆きの壁”はこの城壁の西側の一部。
エゼキエル40章−の幻と違い、門は ”美しの門”(東)だけ、(エゼキエルの幻の「30の部屋」ではなく)
ソロモンの回廊(柱群と回廊)。イエス様もエルサレムではこの回廊で説教されました。
・ 異邦人の庭:(エゼキエルの「外庭」に相当) ・・・ ヘロデが権力誇示のため異邦人も見物できるように設けられ、後の第3神殿再建後は、異邦人(にせ預言者・バチカン)が聖所を踏み荒らすことになります。(黙示11:2)
・ 「宮きよめ」:イエス様の公生涯で2回も ・・・ 生け贄用の家畜を持ってきても祭司や長老に傷物と断られ、結託した商人(異邦人の庭(外庭)にいた異邦人の行商人)が金儲けを計っていましたが、イエス様はこれに激怒して商人たちを神殿から追い出しました。
2回の「宮きよめ」: @ ヨハネ2:13−17、 A マタイ21:10−13、マルコ11:15−19
1) 両替商(地方からのローマ・シェケル → イスラエルの半シェケルへ、手数料1/10〜1/6)(出30:11−16)、
2) 傷の無い動物(レビ1:3、12:8 など)、大祭司アンナスの暴利 ・・・・ 「強盗の巣」と評価された
● イエス様の十字架のときの神殿:
神殿の幕:
1. 聖所の入り口の幕: 縦5メートル半、幅18メートルの大きな幕、バビロニアの亜麻布・青白緋色紫の糸でケルビムの刺繍(外からも見えた)
2. 至聖所の垂れ幕は、その厚みが15cmほどもあり(縦約10m、横約20m by.フルクテンバウム)、絶対裂けるはずのないものだった。しかも、「上から下へ向かって、中央から縦に、真二つに」裂けたので、これは、「主」ご自身のおられる天からの しるしのわざであり、「律法の時代」の終わりを宣言するものとして あかしされました。
御子イエス様の十字架の死と同時に、2.の 至聖所と 聖所との 間の幕: 至聖所 正方形の部屋 ・・・ この幕が上から下に向かって、真二つに裂けた (「38 And the veil(単数) of the temple was rent in twain from the top to the bottom. 」、「38 και το καταπετασμα(単・中、 カタペタスマ = 垂れ幕) του ναου εσχισθη(スキーゾー、分割、裂ける) εισ(エイス、into、to、toward) δυο(デュオ、2つ) απο(アポ、from) ανωθεν(アノーセン、above) εωσ(ヘオス、till) κατω(カトー、downwards)」 (マルコ15:38) = (マタイ27:51、ルカ23:45))
他のしるし: ・ 地震(マタイ27:51)、岩が裂けた、多くの死者が生き返った(マタイ27:52) ・・・ これは、死人の生き返りの器 ガジマ師がここから説教されています。
・ ヨセフスの記録: エルサレム神殿崩壊の40年前(=AD30、十字架の時)東の門の扉が大きな音とともに開いた
至聖所の中には大祭司が一年に一度しか入る事が出来ず、必ず動物のいけにえの血を携えて入る必要がありました。
しかし、十字架の上で罪も傷も無い神の子羊イエス・キリストの血潮が流された事により御父との隔たりは完全に取り除かれ、天の至聖所が開かれ、私達は主イエス・キリストを信じる信仰により大胆に確信を持って御父に近づく特権を持つ神の子どもとされました。
● 御子の十字架の死とともに、神殿にいくつか残っていたしるしは、完全に消えました。
・ この他に、たくさんのしるしが現れ、その中で有名でラビの文献に残っているといわれるものの一つが、アザゼル(レビ16:21、22、のろいを置いて放すヤギ)の角に赤い布が付けられ、それがどういうわけか数日で白くなるというもの。それが、イエス様の十字架の後からAD70年のエルサレム陥落までの間、白くならなくなった。
・ 大祭司の足にひも: もし主に打たれて死んでも、他の人が中に入らずに引っ張り出せるように。
5. エゼキエルの神殿の幻:
エゼキエルは祭司であったため、幻にあっても、聖所に入る資格がありました。
神殿は同様に東を向いていて、東から主の栄光(エゼキエル43:2)、主が入って来られる門(
44:2)。 寸法、構造が非常に詳細に書かれていて、 祭壇(= 十字架)は、一辺約260mの正方形の真中にあり、外壁の東、北、南の3方の外門からも見える配置となっています。
そして、至聖所の南側の下からは、川が流れ出て、東の正門の脇を通って 東側の外に流れ出ているのが、今までにない最大の特徴となっています。 この(聖霊の)川は、流れていくにつれ次第に深くなり、東へ1000キュビトごとに深くなる(1000・足首→2000・ひざ→3000・腰→
4000・渡ることのできない川)。
「東の地域を流れ、アラバ(ヨルダン地溝帯の南、乾燥した荒野の意)に下り、海へ入る。海に注ぎ込むと、そこの水は いやされる。」(エゼキエル47:8) ・・・・・ さらに、「東の海」(異邦の国々) = 死海 にまで流れ、そこの水を真水に変える、という大いなる奇跡の幻。 現在の死海でもヨルダン川の流れ口に魚が生息しています。
救いがイスラエルのエルサレム神殿から出て、聖霊様の流れが 異邦の世界をもきよめ、そこにいのちがあふれるようになります。
また、大贖罪日と 大祭司の記述が無い。 ・・・ この解釈はいくつかあって、
1) 新約時代の教会(万民祭司)を表す、あるいは
2) 千年王国の第4神殿(?)、
という説があり、普通は、前者(理想的な教会)として解釈。
「その人は手に六キュビトの測りざおを持っていた。 その一キュビトは、普通の一キュビトに一手幅を足した長さであった。」(40:5) ・・・ 昔のエジプト・キュビト(最も古いキュビトの尺度、1キュビト=20.62inch=52.4cm、
ユダヤの1アマ(1アンマ) ≒ 45cm、(古代ローマでは44.5cm))
に戻すため?
6. 新約時代のクリスチャンにとっての「神殿(聖所)」:
「地上の聖所(聖なる所)」(ヘブル9:1) τε αγιον(ハギオス、単・中、聖なる、・・・ エルサレム神殿ではなく、幕屋のこと) κοσμικον(コスミコス、単・中、earthly、地上の、物質的) ・・・ 過去のものとして比較のために記述
「あなたがたは神殿(=神の(所有する(所有格))聖所)であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(Tコリント3:16) οτι(that) ναοσ(ナオス、単・男、temple、shrine、聖所、礼拝所) θεου(神の)
「私はこの都の中に、神殿を見なかった。 それは万物の支配者である、神であられる主と、小羊が都の神殿だからである。」(黙示録21:22) 「神殿」
= 「聖所」のこと、 ナオン(<ナオス、受・単・男)
・ この地上にあって 「御国が来る」とは、聖霊様が臨在される、きわめて”動的”なものです。 ルカ2:49 より、 「そして言われた。 なぜわたしを あなたがたは探していたのですか?。 わたしの父の それらの 〜に、 わたしが在らなければならない ことを、知らなかったのですか?」
・・・・・ * 原文では 冠詞(複・中)の後に続く言葉〜 が抜けていて、〜は、「πραγμα、プラグマ、business、thing、matter(単・中)、 businesses、仕事(複・中)」の可能性があります。 ⇔ 他の言葉(「家(オイキア、a house、家 は 単・女)」、「宮・神殿(ナオス、単・男、temple、聖所)」、「家族(οικοσ、オイコス、男、ガラテヤ6:10)」、「教会(エクレーシア、単・女、教会、エペソ1:22)」など)は、中性にならない。
● 黙示録の新天新地の 新しいエルサレムの幻は、立方体、城壁。 建物としての神殿が無い。 神と 小羊が 「神殿」(黙示録21:22)。 特定の場所ではなく、都のどこでも神の臨在、主とどこででも会うことができます。 きよい川は、大通りを流れ、都のみを潤す。 毎月実がなるいのちの木。
都(ガラスに似た純金)の大きさは、12000スタディオン(1スタディオン=185m)
= 2220kmの巨大な立方体。 碧玉の城壁の高さは、144ペーキュス(1ペーキュス=45cm) = 64.8m。 この人間の尺度 = 御使いの尺度。(黙示録21:17) 12の門、12の御使い、イスラエル12部族の名。 東西南北にそれぞれ3つずつ 計12の門。門は一つの真珠でできている。 都の土台石は、12種類の宝石で飾られている。
7. 終末の 第3神殿: ・・・・ これは警告です!
第3神殿は終末の重要なしるしの一つです。 イスラエルでは現在すでに、第3神殿の材料も
人材も(祭司職の教育)用意されています。 「ゴグ・マゴグ」の後、正当的にイスラムを追い出し、イスラム第3の聖地”岩のドーム”の土地を奪回すれば、そこに速やかに建設されることになっています。ユダヤ教の”信仰”の回復。 ただし、ユダヤ人が本格的に救われるのは、小艱難期(前3年半)の時で、2人の証人の時であり、迫害と同時に 全体的な救いがなされます。(救われる者と 堕落する者が両極端になる。(ダニエル12:2))
過越し や 聖餐式 によって、御子イエス様の十字架を覚えることは良いことです。(これは聖書に勧められています。)
しかし、たとえ羊をささげても、行いが救いの教理に入ってしまうならば、新約時代の現在では、十字架を冒涜する行為となります。 第3神殿の礼拝に(すでに救われている)クリスチャンが関わるべきではありません。 形だけ模倣で行っても危険です。 「救い」の条件に、十字架信仰以外のもの
・・・ 律法の行い ・・・ が入ったならば、それは霊が異なる”異端”です。(ガラテヤ3:24、ローマ3:20等)
・ 旧約時代でさえも、時が過ぎれば「偶像」になりうるもの 「青銅の蛇」: ヒゼキヤ王の改革のとき処分。(U列王記18:4)
(参考) 第3神殿予告編日本版 (イスラエルのキリスト教ドキュメンタリー、2013)、 イスラエル第3神殿建設計画
● 第3神殿が作られた後: ・・・ 終末の「にせ預言者」(おそらく バチカン)によって、第3神殿は彼ら「異邦人によって踏み荒らされ」(黙示録11:2)、その至聖所(「翼」=ケルビムのある所)は、「荒らす忌むべきもの」 =反キリストの像が置かれ、反キリスト崇拝の中心地となるまでに堕落する。(実に、「愛された都」エルサレムが、「ソドム、エジプト」(黙示録11:8)に成り下がり、「大バビロン」(17:5)にまで堕落します。)
ダニエル書9:27で預言されている(かつてのアンティオコス・エピファネスがしたこと) この一連のTVなどによる報道を見たならば、われわれクリスチャンたちは、エルサレムの滅亡が近いことを悟り、(あらかじめ、それぞれが
具体的に示されていた所の、)「山(荒野)へ逃げ」なければならない、また、「都市部に入ってはならない」、というタイミングです。 このとき
霊的中心である、エルサレムの神の至聖所が掌握されるので、全世界も、霊的に、反キリストの支配下に置かれるからです。
そして、にせ預言者による大々的な偽りのしるしが伴う惑わしが行われる。
もし「666(六百六十六、獣の数字)」のしるしを受ければ、救いを失うことになります。
→ かつてエルサレム陥落前に起こった脱出の様子: 十字架信仰の力2015
・ ロン・ワイアット氏(セブンスデー)が ゴルドンの十字架の地下の石切り場で見たという”契約の箱”は、ケルビムが極端に両端にあって(「蓋と一体」(出エジプト25:18、19)と言えないほど)、蓋の上部が平らに空いていて、いかにも”何か”( ・・・ ネロや金正恩?のような人物の、反キリストの像)を乗せるのに都合の良い形となっている。 元々、契約の箱は、「主の足台」(footstool、 T歴代誌28:2、詩篇132:7−8)という意味もある。
・ 現代のサマリヤ人(混血した帰還民の一部)は、ゲリジム山で、昔ながらの動物のいけにえをささげる礼拝を
今も続けています。 彼らは長い間近親結婚を繰り返したので知恵遅れの人も多く、羊を屠る姿は異様な感じがします。
・ ブラジル、サンパウロのブライス地区に、億万長者のブラジル人説教者エディア・マケド氏が巨大なソロモン神殿のレプリカの教会(3億ドル≒307億円、11建てのビルの高さ、内装はほぼ教会で1万席、幅20メートルのスクリーン、 ウニヴェルサル・レイノ・デ・デウス教会(神の王国ユニバーサル教会))を建て、その献堂式が行われた。2014、7/31 ただし、彼の教会はペンテコステ派ではあるが、”繁栄の神学”に重点を置くカルト的な教会。(にせ使徒、にせキリスト) 式に出席したジルマ・ルセフ大統領(女性、2011−)は、前ルーラ大統領も含め、国営石油会社ペトロブラスの大規模汚職事件で告訴されています。(2015年3月15日、汚職に対し百万人規模のデモ)
(資料)
● 日本の文化に残るユダヤ神殿: → 日本とユダヤのハーモニー、 日本の中のユダヤ文化(久保有政、学研)
古代日本の渡来人の時代に、その中にいたAD70年に散らされたユダヤ人たちの子孫らによって、BC−AD年代のユダヤ神殿の形跡が存在します。日本人は、人種的には(DNA)ほとんど「異邦人(=非ユダヤ人)」ですが、古代文化は(それ以前の弥生人、縄文人がこれといって文字文化や文化的な遺産を持っていたわけではないので、)ユダヤ文化の重要な部分が色濃く残されていると考えられます。
・ 神社の基本的な構造が 第2神殿に近い。(本殿と拝殿 ≒ 聖所と至聖所、 手水舎≒水盤、 鳥居 ≒ 柱(ヤキンとボアズ、あるいは、出エジプトの時の柱と鴨居。血を塗ると赤い色になる)、 中に偶像が無い、 狛犬:獅子(ユダの象徴)と角のある狛犬:野牛(エフライムの象徴)はある)
・ 神輿 ≒ 契約の箱、 鳳凰 ≒ ケルビム、2本の棒で担いで運ぶ、 749年、宇佐八幡から初めて上京
・ 伊勢神宮の警備の仕方=AD1世紀頃までのエルサレム神殿の人の配置と同じ(by.ミシュナのタミド1−3章、シュロモ・ゴレン ラビ)、 石灯籠に ダビデの星、ヘロデの紋章
・ 禊、 きよめの塩、 8日目の割礼(天皇家にあった) の風習
・ 古事記の初めの文の『三神造化』 = 元々 景教(ネストリウス派の中国名)の『造化三神』(三位一体の創造神
の意) という言葉が由来。 天皇の系図がエフライムのそれと同じ。
・ 日本各地に残るユダヤの言葉(3000語?)、 君が代の歌詞、 熊襲(ケモシュ)・ヤマトタケルの言い伝え
・ 天狗、山伏(テフィリン(経札)、フリンジ(着物のふさ))、虎の巻=トーラーの巻(トーラー=律法)
・ 仏教の影響が少なかった沖縄には、さらに色濃く ユダヤ教、キリスト教の文化が残る。(→ 沖縄のユダヤ性)
ただし、霊的には大昔に堕落したアニミズムの悪霊(悪霊=堕落天使)です。 日本は 終末のリバイバルの東の要の国として定められています。 伊勢内宮・外宮にいた霊は、”日本の強い君”だったので、金山師(使徒)による霊の戦いが行われ、現在は、日本の主だったところの追い出しは終了しています。(昨年は、事件化され、パスポート取り消しなどの
かなりの後アタックがあったことは、この戦いが極めて有効だったことを表しています。) ヘンリー・グルーバー師も、現在も
日本の 小規模の霊の戦いを時々されています。
日本人は、”名誉白人”ならぬ、”名誉ユダヤ人”ともいえる位置付けです。戦後
焼け野原から著しい復興を遂げた日本と、1900年ぶりにパレルチナの地に国を再興した不死鳥の民イスラエルが、重なって見えます。 もちろん十字架信仰以外に義とされる方法はありません。(今の時代に、上記のようなことをすれば、第3神殿建設と同じく、十字架を冒涜する行為となり、主の臨在は無く、霊的には悪いものです。 ただ、「歴史」、「しるし」としては証すべきもの、となります。)
歴史の最後の時代に救われた日本人クリスチャンは世界に出て行き、主によって定められた特別な役割(イスラエル宣教 含む)を果たしていきます。 また、天皇家が信仰をあかしすれば、右倣えで 信じる人が大勢起こされます。